東京高等裁判所 昭和40年(ネ)1487号 判決 1966年3月31日
控訴人 国
訴訟代理人 荒井真治 外一名
被控訴人 金仁錫
主文
原判決を取り消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴人指定代理人は、主文と同旨の判決を求め、被控訴人代理人は、「本件控訴を棄却する。」との判決を求めた。
当事者双方の事実上および法律上の主張は、控訴人において、当審で後綴別紙のとおり陳述し、被控訴人において、「控訴人のみぎの主張事実中、口頭弁論終結後にその再開の申立とともに提出された答弁書および証拠申出書に貼用された印紙については、弁論が再開されない場合にその返還請求権を予め放棄する慣行があるとの点を否認する。」と述べたほか、原判決の「事実および理由」中「第二 当事者間に争いのない事実」「第三 争点」に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
理由
一、まず、別件訴訟の第一審(横浜地方裁判所昭和三九年(ワ)第二一七号)の口頭弁論終結後に被控訴人(別件訴訟における被告)が提出した答弁書および証拠申出書につき別件訴訟の第一審裁判所が印紙を収納したことの適否について判断する。一般に判決の資料となる攻げき防ぎよの方法は、口頭弁論終結までの間随時これを提出することが許されるとともに、その時点以後においては、原則としてこれをすることができない。しかるに、当事者がときに口頭弁論終結後に攻げき防ぎよ方法を提出する行為に出るのは、口頭弁論が再開されることを期待し、これに予め備えようとするためであるのが通常である。被控訴人が別件訴訟の第一審口頭弁論終結後に答弁書および証拠申出書を提出したのも、みぎの事件につきすでに終結された口頭弁論の再開申立書の提出と同時にしたもので、口頭弁論が再開されることを前提とし、再開された場合には、当該審級の口頭弁論期日においてみぎ答弁書に基き陳述し、証拠申出書のとおり証拠の取調を求める趣旨であつたと認められる。しかも、みぎの各書面に法定の印紙が貼用されているのは、単に再開申立書中に弁論再開のうえはかく答弁し、かく証拠の申立をする準備がある旨を予告的に記載するのとは異なり、それ以上に出でて、弁論の再開された場合直ちに適法となるべき攻げき防ぎよ方法の提出を、すでに再開前にあらかじめ行なつておくことによつて、遅滞なく再開後の手続を進行させる決意があることを表明するためのものと解される。ことに別件訴訟におけるように、口頭弁論の終結が当事者の訴訟行為の懈怠を機縁とする場合には、弁論再開をかちうるために、当事者が敢えてこの挙に出ることは特異な事例ではない。また、裁判所としても、一度終結した弁論を再開すべきか否かを判断するに当つては、再開を希望する当事者がいかなる弁論をする意図を有するか、あるいは、いかなる証拠方法を用意しているかを考慮するのが通常であるとともに、当事者がいかなる程度までその準備をしているかということも当然に重要な判断資料となるものである。
もつとも、口頭弁論終結後に弁論再開の申立とともになされる答弁書の提出・証拠の申出は、弁論が再開されない場合には、裁判所に応答義務を生ぜしめるものではないが、実質的には前記のような意味・目的を具有する訴訟上の行為である。してみれば当事者がこのような行為に出る以上は、弁論が再開されない場合に裁判所の直接かつ明示の応答を得ることができないことを当然に予期していなければならないものである。みぎのように、当事者が裁判所に応答義務の発生することを期待して攻げき防ぎよ方法を提出し、かつみぎのような行為をするにつき当事者に法律上または事実上の利益がある以上、それに伴つて提出する答弁書、証拠申出書等に民事訴訟用印紙法の定める印紙を貼用すべきであり、この場合に限つて弁論終結前の場合とその取扱を異にする必要を認めるべきでない。すなわち、訴訟において当事者が法に基く申立・申出等をする場合に収入印紙を納入するのは、みぎの申立・申出等がある場合には裁判所が一定の行為をすることが予定されているため、これに対する手数料を納付するにあるが、みぎの手数料納付義務は、その申立、申出等に対し現実に裁判所が応答するか否かにかかわりなく申立申出と同時に発生する。したがつて、みぎの印紙を納入することを要する申立・申出等は、これに対して直ちに裁判所に応答義務を生ずる場合に限らず、一定の条件が成就しまたは一定の法律要件が具備されるに至つて、裁判所に応答義務が生ずべき場合をも含むものと解される。後者の場合においても当該申立・申出は浮動的になされているわけではないから、国はみぎの司法手数料を確定的に収納することができると解するのが相当である。よつて、別件訴訟において、第一審裁判所が被控訴人の提出した答弁書および証拠申出書に貼用された印紙を消印して収納したことは適法である。なお、結果的には、別件訴訟におけるように、口頭弁論が再開されず、当事者が答弁書陳述の機会を得られず、証拠申出に対して裁判所の応答義務が生ずるに至らなかつたとしても、裁判所による印紙の収納が遡つて不適法となるものではないことは前判示のとおりであり、口頭弁論の再開が裁判所の裁量に属するからといつて、みぎの結論が左右されるものではない。
以上のとおり、口頭弁論終結後にその再開申立とともになされた答弁書の提出・証拠の申出についてした印紙の徴収は口頭弁論が再開されたか否かにかかわらず、不適法でなく、法律上の原因を欠くものではないから、過誤納金として還付すべき場合に該当しないと認められる。よつて、第一審裁判所によりみぎの印紙を法律上の原因なく徴収されたとする被控訴人の主張は理由がない。
二、つぎに、被控訴人は、別件訴訟の第一審において、所定の印紙を貼用して、証拠の申出をしておいたのに、当該事件の第二審(当庁昭和三九年(ネ)第一五六二号)において、裁判長の勧告により同一の申出のために再度印紙の貼用を余儀なくされた旨を主張する。
しかし、前段判示したように、第一審の弁論終結後になされる証拠の申出は、弁論の再開のときに備えて、第一審裁判所にあてて、当該裁判所による証拠調べを申し立てるものであつて、弁論が再開されなかつたときは、その目的が当然に終了するものであるから、かかる申出は、弁論が再開されない場合には、これを撤回する趣旨のものであると解するのが相当である。かりに、被控訴人代理人のした行為が、第一審の弁論が再開されなかつたときは、控訴提起後の第二審裁判所による証拠調を申し立てる趣旨を含むものであつたとすれば、訴訟が第一審裁判所に係属中であるにもかかわらず、第一審裁判所にあててすると同時に、将来控訴が提起された後の第二審裁判所にあてて予備的に同一の申立をすることは許されないと解すべきである。
してみれば、別件訴訟の第二審の裁判長が控訴人代理人に勧告して再度の証拠の申出をさせたことは違法ではなく、控訴人がみぎの申出書に印紙を貼用したことは、民事訴訟用印紙法の該当法条に従つたまでのことである。よつて、別件第二審の裁判所において、証拠の申出につき印紙を法律上の原因なく徴収されたとする被控訴人の主張もまた理由がない。
三、以上のとおりであるから、国に対して不当利得の返還を求める被控訴人の請求は、理由がないとして棄却せらるべきものであり、みぎの請求を理由ありとして認容した原判決は、失当として取消しを免れない。
よつて当裁判所は、民事訴訟法第三八六条・第九六条・第八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 中西彦二郎 外山四郎 秦不二雄)
(別紙)
控訴人の当審における主張
一、(条件付申立にあつても印紙納付義務は申立時に発生し、条件の不成就によつてなんら影響をうけない)
(一) 手数料納付義務は、当事者が裁判所に対し裁判その他の行為をなすべきことを求める申立をすることによつて当然に発生し、裁判所によつて裁判その他の行為がされるかどうか、または、されたかどうかによつて影響を受けない。この点は、原判決も、その事実および理由の第四の一の前段において判示しているところである。
この理は、当事者が裁判所に対し裁判その他の行為をなすべきことを求める申立を一定の条件にかからせてすることが、訴訟手続上許される場合においても変らないのである。手数料納付義務はかかる申立をすることによつて当然に発生し、後に確定する条件の成否如何によつて、裁判所が、裁判その他の行為をする機会を持つかどうかにかかわりなく、これによつて影響を受けることはない。
けだし、このような条件付申立は、その性質上、条件不成就のため裁判所が裁判その他の行為をする必要がなくなる場合がありうることを当然の前提として、なされるものであるから、当事者がかかる申立をすることについて利益を有しかつこれをする以上、条件不成就のため裁判を受けられない場合の不利益は、かかる申立をした当事者において甘受すべきものと解すべきだからである。このことは、原告が予備的請求を併合したため本位的請求の手数料以上の手数料の納付義務を負い、後者の請求を認容されたため前者につき裁判を要しなくなつた場合、また、一旦証拠申出をしながらその採否未了の間に申出を撤回したため採否の判断を要しなくなつた場合と対比して考えれば、一層明らかである。
(二) 本件において、被控訴人が原判決事実および理由の第二の一記載の第一審裁判所において、口頭弁論終結後再開の申立とともに答弁書、証拠申出書を提出したのは、原判決に述べるように、口頭弁論が再開される場合にはこれに対する裁判所の応答を求める旨の申請をする趣旨であつて、このような申請は、訴訟手続上許容される条件付訴訟行為であると解される。したがつて、右申請を有効なものとしてするためには、答弁書および証拠申出書に、民事訴訟用印紙法所定の二〇円、一〇〇円の印紙を貼用しなければならず、本件被控訴人が印紙を貼用した答弁書および証拠申立書を提出し、裁判所がこれに消印をしたのは当然の措置であるとともに、右(一)に述べたところから明らかなように、後に口頭弁論が再開されなかつたことは、右申請をするにつき本件被控訴人に生じた手数料納付義務に何らの消長を来たすものでなく、本件において、国が右印紙を法律上の原因なくして利得した関係が生じるはずがない。
二、(国に対し返還請求権がありとしても、予め放棄している)
(一) さらに、仮に右一の主張が認められず、本件のような場合国に対して印紙の返還請求権が一応考えられるとしても一般に本件のような被告の答弁の陳述を欠いて口頭弁論が終結された場合、被告は答弁書および証拠申出書を提出して、弁論の再開を申立てる際、所定の印紙を貼用して提出する以上、その返還請求権を予め放棄しているものと解するのが相当であり、このことは実務上確立された合理的な慣行として是認すべきものと考える。けだし、本件で問題とされているような被告の答弁の陳述を欠いて口頭弁論が終結された場合に、被告が答弁書および証拠申出書を提出して口頭弁論の再開を申出ることは、実務上長く慣行として行われていることであり、かような場合に右答弁書および証拠申出書に所定の印紙を貼用して提出することも、ほとんど例外なしに行われてきたことである。当事者がその任意の意思に基づいて、右答弁書および証拠申出書が後に発揮すべき機能を予め期待して所定の印紙を貼付したのであるから、口頭弁論が再開されないために何らかの理由により印紙の返還請求権があるものとしても、その返還請求権を予め放棄しているものと解することが当事者の真意に合致する所以だからである。
(二) もし原判決の結論を是認するときは、右のような答弁書証拠申出書等が提出されたときは、裁判所は後の紛争を避けるために、いちいち当事者の真意をたしかめて、口頭弁論が再開されなかつた場合の印紙代返還請求権の放棄を肯じない者に対しては、その剥離を命じて受理するのが妥当な取扱いということになるのであろうが、実務上かような取扱いまで要求することは、その煩に耐えないものがあろう。
ここに他の事例を考えてみる。口頭弁論の開始前に当事者が所定の印紙を貼用して提出した答弁書を口頭弁論期日に陳述せずに新たに他の書面をもつて答弁の陳述をすることも少なからず見られる事例であるが、かような場合、さきに提出された答弁書に基づいては、裁判所に対し応答義務を伴う申立の陳述がなかつたにかかわらず、これに貼付された印紙代金を返還する必要はあるまい。また、口頭弁論の進行中に期日外で証拠申出書の提出が行われることも事務上の慣行であるが、特段の事情がないかぎり期日外の証拠の申出としては取り扱わず、口頭弁論期日に右申出書に基づく証拠の申出を受理することも実務上慣行として承認されている。そしてこの場合に、当事者が口頭弁論期日において右の証拠申出書に基づく証拠申出をしないとすることも自由であつて、かようなときは裁判所に応答義務は生じていないはずであるが、右申出書に貼付して消印された印紙代金を返還すべき必要はないであろう。もし、これらの場合にもすべて国に不当利得ありとして、貼付された印紙代金を返還すべきものとするときは、実務上の処理は煩にたえないと言わざるをえない。
かように実務取扱上の難を挙げることは、印紙代金額の僅少なるに眼を奪われて、ことの本義を見誤つていることにはならないのである。当事者がその発揮さるべき機能を認識予定して、任意に所定の印紙を貼付提出した申出書であることに着眼して、ここにその意義を見出し得ると考えるからである。現に、原判決も触れているように当事者が正にその過誤により、本来貼付すべきよりも過大な印紙を貼付提出した場合に、裁判所もこれを看過して消印してしまつたとき、即時に当事者の明示の意思表示があるときは未使用証明を発行してその過誤を救済するという便宜措置が実務上とられて来ていることを合せ考えても、当事者が本来定められた額の印紙を任意に貼付して提出した書面である以上、後にその申立としての効果が生じないことに確定したからといつて、右代金額を不当利得なりとして返還を求めることは不当であるといわなければならない。当事者としては、正にその申立としての機能が発揮さるべきことを予定して提出したものであり、然らざるときはその返還請求権を放棄する意図に出ているにほかならないとみるのが相当である。
三、(裁判所が再開をすることなく判決をすることにより、右答弁書、証拠申出書による申立を許さずとする潜在的判断をしている)
仮りに、以上の主張が理由なしとされるときは、次のように実質的観点からの主張を付加する。
裁判所は、再開の申立とともに答弁書および証拠申出書を提出された場合、口頭弁論を再開するか否かについて、必ず右答弁書および証拠申出書の記載内容を比較検討して審査することは疑いがない。裁判所は、これらの書面についていわば実質的審査を加えているのであり、そのうえで再開の要否をきめているわけである。してみると、裁判所が口頭弁論を再開することなく判決の言渡しをすることにより、当該審級の訴訟手続を終了させる措置をとることは、右答弁書および証拠申出書による申立を許さずとする判断を潜在的に示していることになる。これもまた、一つの応答形式にほかならない。かような意味で裁判所が応答を示した場合に、これを収納すべき実質的根拠となして差支えないものと考える。
四、(印紙未使用証明がある以上金銭で返還を求めることは許されない。)
実務上、裁判所においても印紙の未使用証明を発行していることは二に述べたとおりである。このような取扱が許される以上被控訴人は、この方法によつてのみ印紙の返還請求が許され金銭による返還請求は許されないといわねばならない。けだし、原告が任意に印紙を購入し、裁判所に納入した以上裁判所も返還すべきときは、印紙によつて返還すべきであり現金によつて返還を認めることは、現金が印紙よりも大きな通用力を有する点において、被控訴人の有する返還請求権以上のものを与えることになるからである。